誰でも理想というものがあると思います。
どういう人生を送りたいのか。
どういう人間になりたいのか。
でも自分に自信が持てない状態だと、そういった理想も上手く持てなかったりします。
僕も昔は「愛される資格も、愛する資格もない」なんて思っていたことがあります。
自分が何か欠陥品のような気がして、まともな人生や普通の人生が送れるのかと不安に思ったりしました。
今でも女性用風俗という「普通の仕事」をしていないのだから、まともな人生じゃないと言えばそうなのかもしれませんが、昔のような不安や自分の欠陥や欠落した部分を気にならなくなりました。
それは今までたくさんの失敗をしてきたこと、努力をしてきたこと、人と比べなくなったこと、自分の良い部分も悪い部分も同じように捉えられるようになったこと….いろいろなことが積み重なって、「自分」というものが形作られてきたからだと思います。
自分に何かが欠けているように感じるのは、その欠けた部分を誰かに埋めてもらうためにあるものだから、欠けた部分があっていいんだと気がついたからです。
それがあるから誰かと一緒に感動できたり、笑ったり、悲しくなったりするんだと思います。
一人で生きられる完全さがないことが当たり前で、人と人との繋がりの中で埋め合いながら生きてるのだと思います。
欠けた部分を認められずにいたり、逆に自分の欠けた部分ばかりを気にしすぎて、他人の欠けた部分をみることや、受け入れられなかったりすると時には傷つけあったりしてしまいますが、それでも欠けている部分が本当は必要な部分だと思います。
様々な経験や知識を得れば世界を知ることができます。
でも世界を知っただけで、どう生きて行きたいか、何をしたいかが分かっていないと、「自分の生きる世界」を作ることができないし、逆に世界から自分の存在が押しつぶされてしまう。
押しつぶしているのは世界じゃなくて、本当は「自分が死んでしまう世界」を自分で作ってしまっているのが原因だと思うのですが、なかなかそこに気がつかないし、同じような他人の不平や不満を探しては、「世界は生き難い。生き難いのは世界の所為だ。」と自分の生きる世界を探せずに、怯えながら引きこもってしまう。
理不尽なことはたくさんあるし、辛いこともたくさんあります。
たくさんあるならきっと、誰のところにもそれはあります。
同じように素敵なことはたくさんあるし、幸せなこともたくさんあります。
たくさんあるならきっと、誰のところにもそれはあります。
辛いことばかりだと思うのであれば、それはそういう世界しかみることができずに、自分が生きる世界を作れていないからだと思います。
「自分が」だから、家族や他人に影響されるものではないし、人と比べるものでもないし、常識や社会に縛られるものでもない。
自分に自信を持つというのはなかなか大変なことなので、どうすればいいか分からないし、とても時間がかかるかもしれません。
分からない場合は「自分を持つ」と考えるといいと思います。
「自己肯定感」という言葉も同じことだと思います。
自分を持つと自分の世界が少しずつ作られていって、自分の意思がクリアになってきて、自分が生きやすい世界を自分で探すことができたり、自分を傷つけようとすることばかりの世界から抜け出すことができると思います。
自分一人では難しい場合でも、ちゃんと助けてくれる人を見つけることができるようにもなります。
世界中が敵だと思っている間は、自分の味方も上手くみつけられなくて当たり前です。
そして自分の欠けた部分を受け入れられず、自分自身が「こんな人間じゃダメだ」と思っていたら、味方になってくれる人が近くにいても、きっと気がつかず手を振り払ってしまうでしょう。
自分の世界を良いものにしようと思えば、人にも自然と優しくなれます。
そして、「優しくできない人」がいてもいいのです。
怒ってもいいし、ちょっとくらい我侭でもいいし、失敗してもいいし、泣いてもいいし、叫んでもいい。
「自分が生きられない世界」、「自分が死んでしまう世界」だけが間違っているのだから、自分の感情は全てそのまま素直に感じていいんです。
自分の気持ちを偽ったり、他人や社会のことばかりを気にして自分を見失ったり、そんな曖昧な自分じゃなくて、 「自分が生きる世界にいる本当の自分」 が誰かに愛されないと、本当の愛情を返すこともできません。
優しくいられる方法、愛される方法は、
自分の欠けた部分、醜い部分から目を背けず、真っ直ぐ自分と向き合うことから始まると思います。
どんな自分であっても、ダメな部分ばかりでどうしようもないと思っていても、自分が生きる世界を自分で守って、素直に助けてと言えるように弱い自分を認めないと、誰も本当の自分をみてくれません。
自分の認めたくない部分と向き合うことは簡単なことではないので、そんなときは誰かと向き合うことも必要です。
だから僕はお客様と接するとき、なるべくお客様としてではなく、人と人として素直で真っ直ぐに向き合いたいと思っています。
僕自身も優しくありたいし、愛されたいのです。
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