ツイッターなどで
「女性用風俗に興味あるけど、人を金で買うのはちょっと…」
「男にお金を払うなんて、バカバカしい」
「風俗を利用するなんて、自分がとても卑しい女みたいで嫌だ」
そんな意見も多いみたいだし、僕も昔は「お金を払ってまでそんなことする人間になりたくない」なんて思っていました。
しかし、今思えば【売春】と【風俗業】を同一視して考えていたし、自分の生きる世界と風俗業界の世界が全く別物だと思って考えていただけで、いわゆる『偏見』や『先入観』で考えていただけです。
実際、多くの男性を相手にしている風俗嬢の女性たちは、自分自身の体を売っているという意識ではなく、自分がお客様へ提供できる『サービスを売っている』と思って頑張っている人が多いでしょう。
女性用風俗で働く男性セラピストも、自分たちのサービスに対してお金を支払っていただいていると思いながら、マッサージなどで奉仕しているはずです。
- 風俗へ行くなんて、人として(女性として)どうなの?
- お金で関係性を買うのなんて虚しい気がする
- お金を払わないと相手にしてくれないと思うと、悲しい
- 売春・買春みたいで、嫌悪感や抵抗感がある
そんな『偏見』で自分の欲望に蓋をしてしまって、息苦しく生きていくしかないと思い込んでいる方は、世の中はもっと【自由に自分の意志で歩んで良い】ものだと知っていただきたいです。
女性用風俗とはなにか?というページでも説明していますが、寂しくて誰かに抱きしめてもらいたいというのは、相手への要求ではなく、自分自身の欲求です。
抱きしめてもらう相手へお金を使うのではなく、自分自身を満たすためにお金を使っているだけで、お腹が空いたら飲食店へ行って料理を出してもらうよう注文するのと、同じことです。
「料理を提供してもらうために、お金を払っている」なんて考えますか?
先ほども書いたように、まともな風俗業の従事者なら、体や性を売り物にしているというより、サービスを売り物にしていると思ってがんばっています。
では実際、風俗店と売春はどう違うのか?
そして自分の住む世界(家庭と社会)と何が違うのか?
偏見を捨てるために細かく考えていきましょう。
まず、売春とはなんでしょうか?
対償を受け、又は受ける約束で不特定の相手方と性交することをいう。
日本には「売春防止法」というものがあります。
「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」(3条)
「この法律で『売春』とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう」(2条)
売春と風俗店の違いは「性交」があるかどうかです。
手淫や口淫といった性交類似行為は含まれないため、「性交」のない風俗店は売春行為ではないということになります。
また、売春を行ったとしても、売春者に対して、売春行為そのものを取り締まる罰則は設けられていません。
売春防止法では、『勧誘』『周旋』『場所の提供』など、売春者をサポートするような行為について罰則が設けられています。
グループや組織による管理売春や、未成年による売春があると、逮捕されるケースがあります。
売春=犯罪行為というイメージを持つ人が多いと思いますが、実際は『成人同士の個人間での売春は何の罰則もない』となります。
罰則がないのなら、なぜ売春をしてはいけないのか?
「法律で禁止されているからよくない」
それだけだと、ハッキリいってただの思考停止です。
なぜ、よく分かってもいない物事を、当然のように「良くないもの・犯罪行為・社会の闇」といったイメージで捉えてしまうのか?
売春と風俗は違いますといっても、多くの人の心に植えつけられた風俗=社会悪のような『先入観』は消えないでしょう。
そこで、日本と世界での「売春」に関する動きをみていきましょう。
日本では昔、『遊郭』という政府公認の公娼制度がありました。
『花魁』という言葉を聞いたことのある人も多いと思います。
第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)にはGHQの指令により公娼制度が廃止。
しかし、敗戦後の劣悪な経済状態や道徳心の低下などもあり、非合法の店や売春婦の数は増加。
一方、世界では「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が昭和24年(1949年)に国際連合によって採択され、1951年に発効。
日本は国連に認められるため、特に売春や婚前交渉を不純と見るアメリカや西欧といったキリスト教諸国の仲間入りを果たすためには、この条約を全面的に受け入れ、下準備として条約に沿った形で国内法を整備しなければならなかった。
そして、昭和32年(1957年)売春防止法が成立し、昭和33年4月1日の同法の施行と共に公娼地域としての遊廓の歴史は完全に幕を閉じることになりました。
ところが、現在でも日本では【ソープランド】といわれる風俗店で、性交を伴ったサービス黙認されています。
風適法第2条第6項1号「浴場業(公衆浴場法 (昭和二十三年法律第百三十九号)第一条第一項 に規定する公衆浴場を業として経営することをいう)の施設として個室を設け、当該個室において異性の客に接触する役務を提供する営業」
つまり、ソープはあくまでも『風呂に浸かりにきた客と背中を流す女性が個室で接客をしているだけ』という建前での営業を行っています。
その個室でお互いに好意を持った自由恋愛の上での性交があったという建前があるため、売春に当たりません。
体を洗うだけで数万円かかるなんて、おかしなお風呂屋さんですね。
次に、近年の海外へ目を向けてみましょう。
アジアでは、タイ王国、中華民国(台湾)で合法化され、ヨーロッパでは、売春自体は合法である国家がほとんどです。
タイ王国では、性病の蔓延を防ぐため、衛生管理を徹底し、かつ税収を確保する目的で、タイ王国政府許可の下での管理売春が合法化されました。
ドイツでは、斡旋を伴う売春を完全に合法化し、売春地帯を一定の場所に隔離し、ドイツ連邦共和国政府が性病管理をすることによって、性病が減少したとされており、タイ王国はドイツ連邦を参考にしたといわれています。
オーストラリアでは合法化を推進したのが女性市長だそうです。
売春を違法にしたところで、貧しい人達がいる限り売春は無くならないし、「モラルを押し付けておきながら、福祉を充実させずに貧しい生活を甘受せよというのは、金持ちの身勝手である」との反発もあり、合法化。
売春が合法化されている州では、株式市場に上場している売春宿企業もあります。
アメリカでは先述の通り、キリスト教により売春や婚前交渉を不純と見ているため、禁止しています。
このように、国や時代によって売春に関する法律も様々です。
【売春は人類最古の職業の一つ】ともいわれており、時代の流れと共に様々な変化をしてきた職業の一つだと思います。
売春を職業にする人々を、私たちは無意識に差別・偏見でみています。
売春や風俗を単純に「悪」だとか、「野蛮」だとか、そのように思うこと自体が、差別ではないでしょうか?
今でも「売春婦に人権なんてない」なんて考えの男性もいるくらいです。
お前はどんだけ聖人のつもりなんだか。
ところが、女性自身もキャバクラや風俗で働く女性たちのことを、心の中で「自分たちとは違う」と思ってないでしょうか?
彼女たちには彼女たちの日常や生き方があるだけで、自分と同じ女性であるはずなのに。
生き方が違うだけで、上も下も本来はないはずなのに、世の中の価値観に流され、偏見や先入観を植え付けられていませんか?
何か一つを吊るし上げることで、相対的に自分たちの立場を上位にする。
自分たちが正しい、自分たちが優れていると思いたいがために、女性の性を貶めている、男性社会の影響がかなり強いと思います。
例えば、ゲイに対する偏見も似たようなものだと思います。
同性婚を認める国もでてきたり、有名人がカミングアウトしたりして、昔よりも差別意識は減っていると思いますが、ゲイを気持ち悪いと感じたり、嫌悪する人もまだまだ多いでしょう。
自分が知らないこと、理解できないこと、周りと違うことを、人は排除したり非難します。
それが自分の世界の安心と安定を守るために、一番手っ取り早い方法だからです。
売春が合法の国もあるなどなど、説明しましたが、売春を助長するわけでも、正当化したいわけでもありません。
フリーセックスの思想があるわけでもありません。
かといって、フリーセックスの思想を持っている人を否定もしません。
「別にそんなの好きにすればええやないか」と思ってます。
必要なのはモラルとかであって、悪意を持つ人から守るためにいろいろな法律などは必要ですが、みんなもっと自由に生きたらいいし、生きられる世の中を作っていったらいいと思います。
なぜダメなのか?
なぜよくないことなのか?
常識と思っていたことを、「なぜ?」「ほんとうに?」と一度疑ってみてください。
他人と生活をしたり、社会で生きていくためには、常識や一般的な価値観といったものはある程度必要ですが、自分らしく生きるためには、そんなものは何一つ必要ありません。
歴史や宗教、社会の流れによって作られた売春や風俗に対する先入観や固定観念を捨てたとしても、それで良いイメージまではもてないでしょう。
「お金に困った女性が、男性に買われて性交する」
多くの人は、そこに【金】と【体】の二つだけがある、虚しい世界だというイメージを持つからだと思います。
『心の伴わない性行為』は、やはり良いものではありません。
相手をモノとして扱い、人と人との関わりではなく、己の欲求を満たすためだけに道具の一つのように利用する。
人の心を無視した行為によって、傷つく人がいる。
買い手にモノ扱いされることによって、売り手も自分をモノとして自己価値を下げてしまう。
一方で、ちゃんと風俗嬢を一人の人間として見て扱って、上手に「大人の遊び」ができる人もいます。
お互いに相手と向き合うことができれば、例え短時間であっても心の通った性行為ができます。
逆に付き合っている恋人同士や、結婚している夫婦なのに、心の通った性行為ができていないため、悩み相談にくるケースもあります。
売春や風俗という存在そのもが「良い・悪い」のではなく、利用する人々が『良識を持って利用するか・悪意や自分本位で利用するか』の差ではないでしょうか?
「良しとする」のも、「悪しとする」のも、あなた次第ということです。
あなたはあなたの人生にとって必要な価値観や思想を持って生きていく権利や自由があります。
少し例をあげて考えて見ましょう。
もしも、あなたのパートナーが病気や事故で性行為が行えなくなってしまったら?
逆に自分が病気や事故で性行為ができなくなってしまったら?
浮気や不倫になるから、もう一生セックスを諦めるしかないのでしょうか?
もしも、パートナーから性行為を拒否され、セックスレスになった場合は?
婚姻外の性行為もダメだとなると、その人は自分の欲求を叶えるという人として生きるための喜びを得ることが困難になります。
パートナーとのセックスを拒否するくせに、風俗へ行ってはダメだ、離婚もダメだといい、自分の都合のいいように相手を縛り付ける人もいるようですが、それこそ相手の自由と尊厳を奪うことだと思います。
法律は社会を守るためにあるもので、個人を守るためのものではなかったりします。
まとめ
・日本では性行為がなければ「売春」行為にあたらない
・よって、風俗は売春行為ではない
・売春行為は成人の個人間の範囲であれば、罰則を受けない
・売春を合法化したり、国営化している国もある
・風俗のイメージがよくないのは、偏見や先入観によるものが大きい
ただの冴えないサラリーマンが、脱サラして起業できる程度には開かれた業界です。
不安だったり怖かったりするのは、単純に一度も踏み入れたことのない海外へ行くのが怖いのと同じことだと思います。
前回の記事『「風俗が異世界」だった昔の僕と、「風俗が日常」になった今の僕』にて、その国境を飛び越えた自分の話を少ししています。
行きたい世界には、自分の意志があればどこへでも行けます。
怖ければ石橋を叩いて渡りましょう。
叩きもせず、見ているだけでは行きたい世界へ、なりたい自分へなるために進めません。
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