12月で37歳になります。
ついこの間までとうとう30歳か…なんて思っていたのに。
アラサー、アラフォーの女性のお客様も多いけど、年を重ねていくと自信がなくなるのはなぜなんでしょう?
若さにいったいどれだけの価値があったのか。
アラフォーに片足突っ込んだので、自分のことも含めて考えていこうと思います。
たぶん、自信がない人は年をとったから無くなったわけではなく、もともと自信がないところに、年齢の追い討ちをかけらたような感じなんだと思います。
筋トレや運動である程度、体の衰えは緩やかになるものの、お肌の張りや瑞々しさは無くなるし、シワも増えるし….
そんなこと考えたって、自然の摂理には逆らえないのだから、悲観する時間があれば自分磨きに尽力するほかないわけです。
「自分の魅力」は容姿だけじゃないとは分かってはいても、「女性としての魅力」は容姿が整っていないと…なんて思っている人も多いのは、男も女性を容姿の魅力を一番にみているせいもあると思うし、テレビで目立つのはやっぱり綺麗な女優さんやカッコいいモデルさんだし、化粧やオシャレで容姿を磨こうという世間の風潮があるからでしょう。
でも一番の魅力は笑って過ごすことじゃないでしょうか。
笑顔の素敵なおばあちゃんは、女性としても素晴らしいと思います。
逆に若い女性でも笑顔の少ない人は、いくらプロポーションが良くて顔も綺麗でも、女性として僕は好きになれません。
オードリー・ヘプバーン
「美しい瞳を創るためには、他人の美点を探すことです。美しい唇を創るためには、思いやりの言葉を話すことです。美しい身のこなしのためには、決してひとりではないという知識を装って、歩むことです。」
誰の中にも内面の美しさがあり、それを自分でより輝かせられるということを知っている人は、きっと年をとっても笑っていられるし、年齢を重ねるごとに深みを増したり、魅力も増えていくのだと思う。
シワが増えたねと言いつつ笑い合い、目元に深いシワが表れれば気にすることなんてない。
若くて綺麗な女性は、セックスアピールには優れているかもしれなけれど、本当にただそれだけで、愛される存在ではありません。
歩幅を合わせる事の出来ない人と一緒にいても、疲れてしまうだけです。
僕も若いときに比べると体の衰えを感じるし、昔と比べて純粋さも減ったような気もするし、「若さ」というものは日に日に減ってはいると思います。
でも、昔より確実に経験や思考のレベルはあがっているし、転んだり寄り道したりしながらだけど、自分の人生を歩んでいるなっていう実感もあります。
学校の勉強だって、時間を費やして頑張らなければ得られることはできないように、自分の人生も若さ(=時間)を費やさないと、いろいろ得ることはできないのだから、その得た部分に焦点を当ててみれば、若さなんていうのは外食で食事の代わりにお金を払うのと同じくらい、支払って当然のものだとも言えます。
お金も若さ(時間)も、自分のために使うものであり、使いもしないのに残そうなんて思うから、無駄になるんです。
昔から思っていたことですが、自分より年下でも「この人すごい!」「めっちゃ大人!」って思う人もいれば、自分より年上でも「なんて子供なんだろう」って思う人もいます。
年齢なんてただその人の表面上に貼ってあるシールでしかないので、もっと気にしなくていいと思ってます。
自分と同じ年齢や立場の人を自分と比べがちですが、貼ってあるシールが一緒なだけで、中身はそもそも別物なんだから、同じ値段のバナナとミカンを比べるくらい意味がないことです。
例えば僕も昔に比べて変な服装はしなくなったけれど、「年相応の落ち着いた服装」なんてのも、本屋で売っているファッション雑誌についているシールを自分の表面に貼り付けているだけなんです。
別に国会議員がスカジャン着てもいいわけです。
アラサーやアラフォーなんていうのは、メディアが作ったレッテルで、そんなものに流される必要もありません。
素敵に年齢を重ねるのは、自分らしく生きることが一番だと思います。
副業で女性用風俗の仕事を始めた頃は、好きな人がもし出来たらこの仕事は辞めようと考えていました。
でもいつの間にか本業になり、男性スタッフの研修もしたりし始めて、もし好きな人が出来てこの仕事を辞めても、風俗の仕事をしていたことを隠して付き合うのは出来ないくらいの年月が経ってしまいました。
この仕事をしていることを隠してしまったら、本当の自分を相手に見せることができない。
結婚願望はあるけれど、隠し事をしてまでしたいとは思わないので、もし結婚するなら理解してくれる人じゃないと無理だな~って最近思ってます。
お客様っていうのも、一つのレッテルのようなものでしかないので、寂しいときとか相談したいときは遠慮なく連絡してください。(返事をするかどうかはわかりませんが)
この記事へのコメントはありません。