5月6日 amazarashiのライブに行ってきました。
会ったことのある人は何となく気がついていると思いますが、車の中でいつもエンドレスにかけているあれです。
今回で2回目。それほど音楽好きというわけでもなく、カラオケにも行かないし、ライブなんて過去に一度ラルクのライブに行ったくらいで。
それなのにamazarashiは聴けば聴くほど世界を再構築してくれる気がする。
僕は幸いにも死にたいと思ったことはないけど、コンプレックスだらけの、でもそこから立ち上がろうとしている僕の今の人生の、とてつもない応援歌のような存在だ。いや、共に足掻こうと叫んでくれているかのようだ。
僕もかつて自分に自信はなかった。愛される存在ではないのだろう、愛される資格はないのだろう、普通の人に備わっているはずの何かが足りたいのだろう。そう思っていた。
でもそれは僕自身のただの弱さで、逃げだった。
幸い自力でそこに気がつけたものの、自分だけではある程度の自信しか持てない。あくまでも他人から自分を守っていくためだけの、理論武装で自身に焼き付けた、純粋とは言い難い自信だ。
ところが女性用風俗の仕事へ単身で飛び込み、自分だけで試行錯誤しながら自営業を進めたこと、そしていろいろな女性と関わることで、ようやく僕は世の中に必要とされている喜びと自信を持てた。
もしかしたらそれもハリボテのようなものかも知れない。
それでもいい。
誰もが傷つきあいながら生きている世の中で、ひとりぼっちで生き残るのは難しい。
傷の舐め合いでもいいじゃないか。
仮初めの安息でもいいじゃないか。
今が辛いなら、今が苦しいなら、誰かにすがるのがどうしていけないのか。
助けあって生きていけばいいし、共に叫びながら、傷つき合いながら、それでもより良い未来へ向かっていけば。
amazarashiのように、言葉で人を救えるのなら、言葉に力があるのなら、僕は言葉を大事にしたいし、一人でも救いたい。
それが驕りでもいいじゃないか。
人に人は救えないかもしれない、言葉にそんな力はないかもしれない。
でも僕は信じたい。
親からの愛、友人の愛、出会った全ての人からの愛を、まだ出会っていない人へ向けて循環させたい。
生まれた人は、みんな愛されていい。
少なくともこれを読んでいるあなたを、僕は愛したいと思う。
amazarashiの歌詞には絶望や嘘や嘆きや悲しみの表現も多いけど、それらを内包するような愛情や勇気のこもったメッセージがあると思う。
ちゃんと感じて欲しい。世の中の勇気と愛を。
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