自分の恥ずかしいところ、どのくらいありますか?
そしてそれがなぜ恥ずかしいのか、考えたことありますか?
「恥じらう」ことが人と接する上でどのような意味をもち、セックスをするときにどのように意識をしたらよいのか、気持ちよく感じるための重要なファクターである「恥じらい」について考えてみたいと思います。
まず、「恥ずかしい」の意味とは。
【恥ずかしい】
①(自分の欠点や失敗,あるいは良心のとがめを意識して)他人に顔向けできない気持ちだ。面目ない。 「ぶざまな負け方をして-・い」 「どこへ出しても-・くない実力」 「社会人として-・い行為」
②(人前で気持ちがうわずって)どう振る舞ってよいかわからない気持ちだ。照れくさい。 「異性が-・い年頃」 「そんなにほめられると-・い」
③(自分が恥ずかしくなるくらい相手が)すぐれている。すばらしい。 「言ひにくきもの…-・しき人の物などおこせたる返りごと/枕草子 110」 → てれくさい
どの項目にも自分以外の他人の目を気にしているというのが分かると思います。
「人に自分がどう見られているか」を意識して、初めて恥ずかしいという気持ちが発生するわけです。
だから一人だけの空間であれば、全裸だろうが恥ずかしくないし、アホなことをしても恥ずかしくないわけです。
では人前で平気で全裸になれる人がいたら、その人には恥じらいがないのかというと、どうでしょうか?
恐らく恥じらいのない人はいません。
でも、出来ちゃう人もいます。
例えがアレですが、露出狂の変態は、人前で性器を露出して喜んでいるわけです。
そんな露出狂でも、恥じらいがなければ興奮はしませんよね。
露出して相手が驚いたり、恥ずかしがったりしている姿を見ることで、「自分が恥ずかしい行為をしている」という恥じらいを、歪んだ方法で得ているわけです。
もしも相手が何のリアクションもなく、冷めた目線でみられるだけだと、たぶん露出狂の変態は悦びません。
※もちろん相手の迷惑になるので、露出行為は絶対ダメです!
でも実は「自分の恥ずかしいところを見せる」ことで興奮するのは、変態だけではありません。
だって、誰でも「自分を認めてもらいたい」「自分を知ってもらいたい」「相手にしてもらいたい」などの認証欲求がありますよね?
それが満たされたとき喜びを感じます。
例えば好きな人と一緒にいるとき、好きな友達と遊んでいるときなど、「受け入れて欲しい人に受け入れられたとき、喜びを感じる」わけです。
それがもし、誰にも言えないようなことで一人で抱え込んでいたことや、恥ずかしくて言えないことだったりしたら、その喜びは感動するほど大きくなります。
その感動という心の振動は鼓動を早め、「感じる心」を作り出します。
感じる心は打てば響くように、刺激を自ら増幅して感じやすくしていきます。
恥ずかしくて壁を作ってしまうと、その打てば響く心を閉ざしているような状態です。
「いやいや、恥ずかしいのは恥ずかしいだけだから、興奮したり気持ちよくなったりする変態とは違うから」と思う女性も多いでしょう。
次に恥ずかしさが気持ちよさを邪魔する場合と、気持ちよく感じるための燃料になる場合をもう少し分かりやすく日常生活を例にして考えてみましょう。
「恥じらい」を利用して気持ちよくなる方法
セックスや変態を例にしても、上手く理解できない人もいると思うので、日常生活で恥じらいがどのように自分の幸福を邪魔したり、逆に豊かなものにしているのかを書いてみます。
僕の場合なんですが、カラオケを誰かと一緒に行くのがすごく恥ずかしいです。
それは自分が歌が上手くない(=他人と比べている)からです。
でもカラオケで友達と好きな歌を歌ったり、大きな声を出してはしゃいだりするのは楽しいので、歌の上手さなんか気にせず、いろんな人と楽しめたらいいなと思います。
例えば自分がカラオケがすごく苦手だとして、ある日、気になっている好きな人に遊びに誘われたとします。
その人はカラオケが大好きなので、カラオケに誘われてしまいました。
あなたならどうしますか?
1.カラオケは苦手と正直に言って遊ぶ場所を変えてもらう
2.趣味が合わないと知られると嫌われるかも..でもカラオケには行きたくないので、理由は言わず他の遊ぶ方法を提案する
3.カラオケ苦手だから、ちょっとだけなら…と遠慮がちにOKする
4.カラオケ好きな人に幻滅されないように、必死に練習してからいく
どれが正解とかはないと思うのですが、どれを選んでも一緒にリラックスしてカラオケを楽しむというのは、ちょっと難しいですよね。
その人とカラオケを一緒に楽しみたいのであれば、自分自身の恥じらいを乗り越えていかなければなりません。
なので、必死に練習しても緊張感は消えず、その人の前だと結局上手く歌えなくて全然自分に楽しむ余裕がなくなってしまったら、誘った相手から「なんか楽しくなさそう」と思われてしまうかもしれません。
じゃあどうすればいいか。
答えはシンプルで「正直になる」です。
自信がなくて恥ずかしいということも、一緒にカラオケを楽しみたいと思っていることも、楽しめないんじゃないかと不安なことも、全部伝えることです。
「そんなこと言えない」のであれば、諦めてカラオケを一緒に楽しめなくても良い相手を探したらいいわけです。
最初から恥ずかしくなければ、相手と一緒にカラオケを楽しめます。
でもそれは、言い換えると誰とでもカラオケを楽しめるってことでもあります。
もし、カラオケが苦手ではなくても、やっぱり好きな人の前だと恥ずかしかったり緊張したりしますよね。
ただの友達と一緒に行くのとはまた違うわけです。
恥ずかしいけど、一緒の時間を過ごして一緒に楽しむことで、もっと好きになるわけです。
だから、恥ずかしがってはいけないとか、自信のなさを隠して無理して相手に合わそうとしても、それはただの強がりだから、一緒にカラオケへ行っても心の距離はなかなか縮まりません。自分で壁を作っている状態で一緒に過ごしているだけなのだから。
大抵自分が気にしていることは、相手は気にしていないことも多いです。
カラオケに誘ってくれた時点で、一緒に楽しい時間を過ごしたいと思ってくれているだろうし、歌の上手い下手は全く気にしないかもしれない。
それなのに自信がないからといって、「楽しい時間を過ごせないと思い込む」のは恥じらいというよりは、嫌われたくないという自己防衛であり、自分をさらけ出せない勇気のなさや相手への信頼のなさです。
「恥ずかしい」を自分の自信のなさや向き合う勇気のなさの言い訳に使っている人が多いです。
セックスも「恥ずかしくて」いい
先ほどのカラオケを、セックスに置き換えて考えてみてください。
「恥ずかしさ」も「一緒に楽しみたい」も「不安がある」のも、全部必要なものです。
一緒に気持ちよくなりたいだけだったら、セフレでもいいわけです。
恥ずかしいし、自信もないし、それでも一緒に気持ちよくなりたいっていう気持ちを相手が受け入れてくれるからこそ、一緒に特別な時間を楽しめるわけです。
強がる努力じゃなくて、伝える努力をしましょう。
伝えないと分かり合うのも、受け入れあうのも難しいです。
それはつまり、気持ちよくなること(カラオケで一緒に楽しむこと)も難しいということです。
自信がない自分自身を、恥じらって隠したり強がっていたら、相手が受け入れ難くなる(一緒に楽しむことが難しくなる)だけです。
自分も相手も一緒に気持ちよくなるためには、自分の恥ずかしいところも、弱いこところも、醜いところも、相手へ預けてふわふわと心が軽くならないと難しいのです。
好きな人に「自分の本心を知ってもらう」そしてそれを受け入れてもらえること以上に、嬉しいことってありますか?
だから、「恥ずかしくて」いいし、隠すのは歓びや快感を感じることの妨げになります。
みんな恥ずかしい奴なんです。
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